消えぬ産廃の脅威(その教訓)
今回の小山町産廃処分場建設の問題は、幸運にも廃棄物を入れられる前にストップとなった稀有な例であるが、一番驚いたのはいとも簡単に産廃処分場ができてしまうことである。ここで得られた教訓は何だったのか整理してみたい。
第一に今回作ろうとしたのは安定型最終処分場とよばれる素掘りの穴に廃棄物をそのまま埋めるだけのものであった。安定五品目と称される溶け出すことのない廃棄物だけを埋めるということであるが、検査は薄く引き延ばして目視だという。五品目かどうかの区別も難しそうであるし、業者がコストをかけて真剣にやるとは思えない。廃棄物の混じった粉塵は風に舞うだろうし地下水に有害物は溶け出すものである。そうなれば、小山町の農作物、直下の板倉のコメなどは処分場から染み出た水で作ることになり、誰も買いたくないから、売れなくなる。健康被害さえも出る可能性がある。あたりに住む生物への影響も無視できない。今時ただ埋めるだけで見えなくすればよいといった処理方式を認めてよいものだろうか。これを許しているのが国の法律である。
次に驚くのは千葉市の指導要綱で、計画地の三百m以内に住む住民の三分の二以上の同意をえれば建設できることとなっている。水や空気が汚染される可能性を考えたら三百mというのはあまりに狭い範囲に限定しすぎである。今回、谷を隔ててすぐの「あすみが丘」という新興住宅街の約七千世帯には全く相談に与る権利がないということであった。住宅の購入者がこの街を選ぶ理由は、昭和の森公園と創造の森公園、水辺の里公園を近郊にかかえ、美しく計画された市街地を持つという環境であり、その周辺の緑あふれる景観まで含めての価格を払っている。処理場が隣に作られることにより確実に不動産価値は下がるのに蚊帳の外なのである。だが、三百mを単に拡大したら良いという問題ではない。事前協議というのは、あくまでも市の指導要綱であって、これがクリアできていなくても廃棄物処理法に基づいて業者に許可を求められれば市に止める権限がないのだそうである。つまり、周辺住民がいくら反対したところで、現状では強制力がないのである。
一方、業者が利を求めて産廃処分場候補を探していて、行政がそれに甘いばかりでなく、地域自らがこれを招き寄せるような要因をかかえていることが大きな問題である。農業がビジネスとして成り立たない状況にあり休耕田・放置田が増えていること、林業も全く同じで間伐も下草取りも行われない山林・林地が増えていることである。そして相続の場面で現金がいるということになると産廃施設用地として貸すなり売られる可能性が高い。それは、山砂を採取して売り、その穴に産廃を埋めさせて金を取ることにより収益性が高いので高値で売れるということになるからである。しかも、最後に土をかぶせ宅地に仕上げて、売り抜いてしまえばもっと収益性は高いことになる。産業廃棄物の処理を少しでも安くあげたい産業と処理業者は、千葉のような比較的輸送距離の短い近郊の土地をさがしていて需要と供給がバランスすることになる。現に
今回のように土地改良区が、売りに出される土地を次々に買えるわけではない。結局、重要なことは、地域全体として自然を守っていくことを合意形成し、法的拘束力のある市の条例やまちづくり条例を作っていくことなのでしょう。ちなみに