消えぬ廃棄物の脅威(止めるまで)

世帯数約七千戸の新興住宅地「あすみが丘」のすぐ目と鼻の先となる小山町に二万uの産業廃棄物最終処理場の話がもちあがったのは、二〇〇五年一月のことであった。たぶん、あすみが丘住民の多くは自治会の通知でこれを知った。計画について千葉市がパブリックコメントを求めているので、各自でコメントを送ってくださいとの内容であるが、自治会は、計画を認めた上であすみが丘市街地にトラックを通行させないこと、通行時間の制限や廃棄物や被服土をならす時の散水などを要求している事を付け加えていた。これは千葉市の指導要綱による「施設より三百メートル以内の住民の三分の二以上の賛成を得ればよい」という事前協議の条件をクリアしており、あすみが丘の住民には発言権がないという、全く見込のない戦いの始まりであった。

しかし、地元小山町から上申書が出され三分の二以上の賛成が得られていない事が判明し、反対の火の手が上がり始めた。約六千三百名の請願署名が千葉市に提出されたため、二〇〇五年三月には千葉市当局からも参加をお願いして、自治会が勉強会を開催した。約三百人の参加があり議論が白熱した。ここでわかってきたのは、

u  計画地は、地主と業者でリース契約を結んでいるが、相続税未納のため国税庁の担保物件となっている。国が行政として止めるべきではないかとの質問もでたが、国税庁は地主にキャッシュを稼がせて納税させるつもりとの解説があった。

u  そもそも砂利が違法採取され原状復帰命令が出ていた土地ではないか、なぜ復旧されないままであり、処理場の許可がおりていないのに既に工事車両が入っているのかという質問に対しては、採取した業者が逃げてしまい原状復帰の工事を新しい業者にやらせているという回答であった。

u  事前協議の条件である小山町の合意が取れていると伝えられたのは嘘であることが小山町住民の直接参加による発言でわかった。町内会長が独断で合意の印を押したものであり、十三人中九人が反対ということであった。

u  市からは、事前協議というのは、あくまでも市の指導要綱であって、これがクリアできていなくても廃棄物処理法に基づいて業者に許可を求められれば市に止める権限がないことも指摘された。

このような業者よりとも受け取れる市の姿勢に対し、住民からの厳しい反対意見が相次いだ。この姿勢を象徴するように、四月には市当局が計画反対運動のリーダーの住所・氏名・電話番号を業者に渡すという個人情報漏洩事件を発生させ、大々的に報道されたため市当局はその非を認め公式に謝罪した。さらに、市議、県議、住民がそろっての現地見学会を開いたが、いつの間にか計画地の中央を通っていたはずの赤道(住民の生活道路で市が管理)が、端を通るものに付け替えられていた。これは、より多くの廃棄物を入れるためだろうが、赤道の変更に必要な同意をとっていない上、既に工事の一部を始めていることになるのではないかと大問題となった。六月には、市議会本会議にて建設反対の請願が採択された。市も業者に申請の取り下げを指導しているとのことだったが、業者は一行にその気配がなく、一年半小康状態が続いていた。

突然二〇〇六年八月、業を煮やした国税庁は計画地を競売に出すと発表した。当然、業者は買いに入ることが予想される。誰か、業者と争って買いに参加できるか? 十一日という短い応札期間では、一人一木運動等を展開し資金を募るなど不可能な話だ。そこに、名乗りを上げてくれたのが大椎・板倉土地改良区であった。組合員の中にも議論があったが、水源涵養林を維持していくことが子々孫々のために必要な処置だと合意されたと聞く。もちろん、業者に知られては値段をつりあげてくるかもしれないから、いくらまで予算が使えて、勝てそうなのか、法律や不動産取引に精通したボランティアと改良区の役員の間で極秘のうちに相談がすすめられていった。当日九月五日、六十五万円の僅差で業者に勝利した。まさしく、快挙だと思う。次世代のための支出を決意した土地改良区と多くの人達の協力の賜物である。しかしながら、緑を剥かれた土地は未だに大穴のままである。元の森に戻すには、より多くの方々のご協力ご支援が必要である。

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