3 産廃計画跡地の里山復元への第一歩
千葉市板倉大椎土地改良区の英断により、2006年9月に土地を買い取り10月に業者は産廃計画を取り下げたものの残った土地は完全に表土を剥かれており「森の復元」という目標にとってこれはスタートでしかなく、次のような多くの困難な問題を抱えていた。
1、何か植えようにも植物を育てる養分がないので何が育つのか不明。
2、植えたとしても誰が面倒をみるのだという問題。改良区のメンバーには自分の山林も面倒み切れないのにという思いがある。
3、赤道(市が管理する生活道路)を戻すには埋め戻す良質で大量の土と土木工事が必要。
4、道路付け替え時に斜面林を切ってしまった斜面の崩れについて保全工事が必要。(土地改良区で応急工事済)
5、その上、無届で伐採され違法砂利採取により計画地に大穴をあけた業者が小屋を残して居すわった。(2008年7月改良区が買取ったが盗まれた。)
そこで、地元から土木工事の援助・業者への説得・跡地復元プランの作成を依頼するため市と3回の協議及び赤井裕先生による自然保護講座2回を開催したが、残念ながら、復元プランが定まらず、森の復元は行き詰ってしまった。表土のない土地を森にする試みには支援がなく、何を植えたらよいかも、なかなか決定できなかった。悩みながらも、2007年5月には約350本の杉苗の寄付を頂いき有志約20人で植えたほか、調査のために桜宮、谷当グリーンクラブ、下泉・森のサミットや大草などのプロジェクトを見学、森林ボランテア研修や自然保護講習を受講した。
10月、県環境学習アドバイザー鈴木優子様に指導を頂き植生調査を行った。風や鳥が運んだ種子から芽生えた木の赤ちゃんが100本も発見され自然自らの回復力には驚かされ、我々が少し手助けをすれば森を復元できるのではという希望ができ、翌1月赤井先生を招き地元の方と現地を見て頂き、「一刻も早く多種を植えるべし」とご指導を得た。
2008年3月には県と市から後援と協賛をしてもらい、[G20千葉2008]記念事業のプレ企画として植樹祭と自然観察会を実施。広く呼びかけ、多くの個人や企業から多くの寄付を頂いた結果、子供36人を含む152人の参加者で、17種類約600本の苗木を植えた。
植樹を契機に手入れ活動する母体として、5月に土地改良区、小山地区、周辺住民が共同して「森を守り育てる会」を立ち上げ、毎月定例手入活動を開始。9月には、[千葉県生物多様性モデル事業
]に採択され、毎月の手入れと行事を経て12月には子供達に昭和の森にドングリと落ち葉を集め運んでもらった。ドングリは苗床に播いた他、ポットに植えて持ち帰って育て、植樹してもらう予定である。この苗を植樹する時には参加者の思いが違うと思う。また、落ち葉は堆肥場の木枠に溜め、落ち葉のプールで遊んでもらった。自分が遊んだ落ち葉が時と自然の力を借りて堆肥や土になることを実感してもらいたい。我々は、草刈、苗作り、植樹、堆肥作りにイベントを盛り込み環境教育を兼ねて楽しみながら企画を重ねることで森の復元の環が広がると確信を深めている。
しかし、この森が育つになお人手と資金が必要である。今この土地はゼロから始めて1000本以上の木があるのに、谷津田保全協定の補助対象にできないといわれている。苗木は育ちながらCO2を吸収してくれ谷津田の湧水の水源涵養林になっているはずでる。ゼロから森を造り増やしていくことは希少植物や希少生物のいる村田川源流域の重要な環境保全と信じて活動している人々が報われることを願いたい。行政が既存制度の枠組みだけで住民の声や実態を直視しない点は今後の課題である。
(緑の環・協議会 星野正人)