被爆アオギリ二世の植樹について

 

19458月、今から63年前、広島に原爆が投下されました。原爆の光と熱に焼かれて約10万人の人が死にました。建物も木も壊され焼かれてみな死に絶えたかに思われました。そして、さらに多くの人が原爆の後遺症で死んで行きました。広島には75年間草木も生えないだろうと言われました。

しかしながら、爆心地から1300m(広島逓信局の中庭)のところにあったアオギリが生き残ったのです。爆心地側の幹半分が熱線と爆風にえぐられたアオギリが生き残るとは思えなかったわけですが、翌1946年の春に芽吹きました。原爆の悲劇にも負けずに、たくましく育ったアオギリは、当時絶望のどん底にいた人々を勇気づけ、現在もその傷跡を包むようにして成長を続けています。

 さらに、2000年、このアオギリの近くでその苗木が発見され「被爆アオギリ二世」と呼ばれています。

奇跡的に生き残り人々に生きる勇気を与え続けたこのアオギリの種を育てた苗木を、広島市(広島市市民局国際平和推進部平和推進担当)が「平和を愛する心」を後世に伝えるため、日本各地のほか、アメリカ、スイス、エジプト、ドミニカ共和国、中国、イギリス、イタリア、デンマークなどの諸外国に寄贈しています。

   

被爆アオギリ二世が二つの意味で、この跡地のシンボルツリーにふさわしいと思います。第一に、違法な採取によって表土をむしりとられた土地は、広島の焼け跡にも似ています。養分をもった表土をまったく削りとられているという意味で、こうして植えた苗木の生き残りさえも難しいものがあります。だから、皆さんに手伝っていただいて堆肥づくりをしているわけです。それでも何百年もかけて堆積してきた表土の質とはずいぶん違うものだと思います。この逆境にめげず、アオギリ二世がこの土地に力強く根付いて我々に勇気を与え続けてほしいと思います。

第二に、森を作ることは水をつくることであり、ここでもこの苗木たちが立派な水源涵養林となってくれることを願って植林をしています。世界中で森を失うことによって砂漠化が始まり、水と食料をめぐって戦争がひきおこされています。ここに森を復活させることは小さな一歩であっても価値ある一歩であって、アオギリの平和への祈りに通じるものがあると考えます。ここに集まってくれた子供達が遭遇するであろう明日の世界が、少しでも平和で明るいものであることを願ってやみません。
(2008年12月6日) 緑の環・協議会
 
戻る